NESゲーのハナシ

今頃ですが、元日にサイトをリニューアルしまして。

去年までのブログは16年も前に作ったモノなんで、CMS(ブログを構成するシステム)はもうサポ終しちゃってるわ、さらに要所々々で使ってたFlashに至ってはiOSではとっくにサポってないわ、しかもMacも今年からサポ終しちゃうわで、そんな老朽的事情もあって1年前から新しいCMSに乗り換えてリニューアルしようと準備していた訳です。
って簡単に云ってるけど、齢53にして新CMSを覚えたり、ニューデザインを考えたり、16年間書き溜めた駄文を新システムに移設したりってのもなかなか大変なんでゴザイマスよ。
だからリニューアルに1年も費やしてしまったが、どうにか完成した。
つーか、正しくはまだ完成はしてなくて、ようやく人目に晒せるカタチになった程度なんで、これからも状況に合わせてマイナーアップデートを繰り返して行く所存っす。

初めてコンタクトフォームを置いてみたら、翌日にいきなりスパムメールが来た。
こんなのが毎日届いてちゃあ面倒なんで早速対策をしてみたんだけど、どうやら効いてるらしく、最初のその一通だけでパッタリ止んだ。いやいやヨカッタヨカッタ。
そして、若干のグローバリゼーションを図っておりま。気取らずに云うと、英語が其処かしこに散りばめられてますって事です。
で、その影響なんでしょーかね、最近は海外の方から、昔作ったNESゲーの音楽についてのご意見をよく頂くようになった。例えば、G.I. JoeとKick Masterの音楽が好きです、っていう。
ただ、残念ながらオレ、国内未発売のNESゲーにはほとんど関与してないんですよねー。

具体的に云うと、Low G Manでは3曲だけ作った。確か、最初のボス面、3面、4面だったかと。
4面については以前触れた通りで、ロージーのサウンドは外注さんに任せてたからオレは管轄外だったけど、外注さんでは間に合わないような特急案件が発砲した場合、唯一の社内サウンダーであるオレが対応するしか道が無いぢゃないっすか。
そんな感じでボス曲もその後で急に作らされて、いよいよ明日はマスターUPっていう土壇場になって、どーゆー訳か企画氏から「3面の曲がステージの雰囲気に合ってない」っつー今更案件が噴火ですよ。
UP直前だったためか、サウンド担当の武者くんも来社してたから2人で徹夜して、どっちが先に3面に相応しい曲を作れるか的なプチコンペを展開したんだが、コレが何だか妙に楽しくてねえ。
この頃は入社して3ヶ月ぐらいで、イコールK社制作部サウンド課(そんな名称ではなかったけど)が創設されてまだ3ヶ月って意味でもあり、サウンド制作機器もまだ乏しく、作曲に使う楽器なんてロージーの企画氏が持っていたヤマハのポーターサウンドっつーおもちゃキーボードしか無く、それを武者くんに与えてしまったからオレは脳内でイメージした曲をデータ直打ちするしか手段が無かったんだけど、どうにか採用された。ちゃんと3面に合ったイキフンを出す事に主眼を置いた、プロとして合格点の仕事がいよいよ出来るようになったという手応えも、この曲によって掴んだのでした。

ロージーの手伝いをやらされた90年1〜3月は、ブライの移植をゲームボーイの勉強かたがたやってからアイソを作るというのがマイ任務だったんだけど、まだ海の物とも山の物ともつかぬド新人にアイソを任せるのは難しいだろうって事で、当初は中潟さんと武者くんとの共同作業を予定してたんだけど、中潟さん多忙、武者くん不調って事で結局お二方には1曲ずつ提供してもらうに止まった。
そんな経緯もあって中潟さんから、今後のために強力な助っ人を、とご紹介頂いたのが高濱さんである。
当時のK社は社員が10名ほどで常に2〜3本の制作ラインが動いていて、実際のサウンド業務としては90年7〜9月にG.I. JoeとゲームボーイのFastest Lapを、9〜11月にKick MasterとGBの相撲ファイターを作るという、NESとGBが同時に1本ずつ進行するスケジュールが連続したから、高濱さんに振るならクセの強いGBよりはNESの方がやり易いだろうし、さらに効果音はオレがやってあげれば楽曲だけに専念できるし、といった感じで棲み分けをハッキリ決めたんだが、やはりそうは行かないのが社内サウンダーの宿命ですよ。ジーアイでは乗り物に乗ってる時の曲とステージ間などのインターバル系を少々作った。
あと、エンディングテーマ制作未遂なんてのもあった。高濱さんからエンディング曲がなかなか来ずに不安になった企画の先輩から、オマエにエンディングを頼むかも知れないからなって云われて、万一に備えてイメージを固めて準備だけはしてたんだけど、ちゃんと曲が上がってきたから、その時イメージした曲は別のゲームのエンディングに使った(んだけど結局世に出なかった)。

キックの方はよく覚えてないが、効果音を改めて聴いてみると、オレが作ったモノと高濱さんが作ったモノが混在している。たぶん相撲ファイターのサウンド制作がもお異常に大変だったから、オレ途中で効果音を投げたんでしょーね。
曲に関しては、どーゆー経緯か忘れたが、ボス曲を作らされた。あと3曲あるオープニングデモ中の1曲がボツになった際、監督のケンちゃんが「あのボス曲みたいな感じがいい」って云うから、じゃあオレが作った方が話が早いかーと思って引き受けた。
あと、エンディングは高濱さんの美しい曲でオレらスタッフみんな大好きだったんだけど、どーゆー訳か、これまたマスターUP直前の土壇場で、メッセージを追加したか何かで尺が変わっちまって、曲の長さが足りなくなったからどうにかしれ、って話になった。
そうは云っても、高濱さんに悠長に連絡すらしてられないぐらいの土俵際だったから、こうなったら仕方ないと勝手に数小節ばかしフレーズを追加してテンポも調整して、どうにかジャストのタイミングに収めた。
ただ、これは申し訳ない事をしたと思い、UPした後で高濱さんにその旨を連絡をしたら、やっぱり怪訝そうに「それって、シオダさんがやったんですか?」と訊いてきたから素直に詫びたら「いやー他の人ならともかく、シオダさんだったらもお、好きなようにやっちゃって下さい」と上機嫌で云ってくれて、何だか信頼されてるみたいで嬉しかったし救われた。けど、やっぱ悪い事をしたなああ。

ところで、NESゲー制作に徹夜は付きモノである。
クライアントがアメリカなんで、先方の都合に合わせて納品するとなると、時差の影響でコッチでは早朝に提出するハメになる。
だから開発途中に、ステージ1ぐらいは遊べるアルファ版、半分以上完成したベータ版、制作完了のマスター版を提出する度に徹夜となり、作業中の深夜には当然腹が減るから、一番下っ端だったオレ(サウンドが上がった後も、デバッグ隊として一緒に徹夜した)はミニストップにみんなの分のハンバーガーを買いに行ったり、ジーアイの場合は社運を賭けたような部分があったから社長も徹夜でデバッグしてて、そんな時は豪勢に焼肉弁当を振る舞ってもらうのが定番コースで、夜中の2時頃に矢口渡にあった深夜営業の焼肉屋へチャリを飛ばして10人前とか買ってみんなで食べたりしてたのが、やたら楽しい思い出として残っている。
もちろん徹夜はキツかったけどね。でも楽しかったなあK社。ファミコン作ってた頃は特に。