オレ発祥

かなーり前の話だけど、2ちゃんねる好きでしょ?って云われた事がある。

何でも、オレが使う言葉が2ちゃんねるっぽいんだそうな。
えー、マヂっすかー。オレ生涯で一度もワロタとか云った事無いんだけどなー。
実際、2ちゃんねるを見た事はほとんど無い。
ニフティーサーブって云う、マナーを凄く尊ぶパソ通からネットコミュニケーションを始めた者としては、あの無法地帯っぷりはなかなか好きになれなくてですね。
2ちゃんは言葉遊びが豊富という意味では魅力的な場所だというのは一応分かっているが、それもまた余計に足を遠ざける要因となった。
以前書いたが、小学校で奇妙な言語感覚が育まれてしまったらしく、その頃からずーっと言葉遊びをしてきたモノとしては、やっぱり自分で使う言葉ぐらいは自分で考えたいという欲がある。
だからむしろ、2ちゃん言葉を敢えて避けているぐらいなんだが、一体どこが似てるんだろーなー。

以前テレビで、意味の解りづらい言葉を映像で説明するという番組をやっていた。
例えば、タレントのコが一人で乗っているエレベーターが突然停止して、徐々に不安が増して混乱していく様子を見せた後、国語の権威みたいな先生が出て来て、これが「テンパる」という事です、なんて云う。
さらに続けて、この「テンパる」というのは賭け事から来た言葉ですが、そもそも賭け事から来た言葉って多いんですよね、絶対外さないといった意味の「鉄板」とか……などと解説を入れていたが、結局どーゆー経緯でパニック状態を「テンパる」と呼ぶようになったのか、という肝心な説明がないまま終わった。どうやら経緯までは知らなかったと見える。
なのでココで、その経緯を解説したいと思います。
と云うのも、この危機的状況を表す「テンパる」って、たぶんオレ発祥なんです。
麻雀であと一手で上がれる状態を「テンパイ」と云い、その動詞形の「テンパる」が元になってるのは確かなんですが。
ハタチぐらいの頃だから昭和末期の話なんだけど、地元の友達とバンドをやってたんだが、そのミーティングは夕飯時にファミレスでやる事が多かった。
若い頃は大食いだったから、いつもスパゲッティとピラフとサラダぐらいは喰らってたんだが、その日はコーヒーゼリーしか注文しないのをみんな不審に思って、どうしたんだと訊いてきた。
「あのー、こーゆー食事の場で云う事じゃないんだけど、実は腹の調子が最悪で、一口食べるとテンパっちゃうんだよね。もう今日は一日中イーシャンテンでさー、コーヒーゼリーだけでもテンパイ即リーかも知れないんだから、いつもみたいな喰い方なんかしたら即刻チーホーだよ」とか云ったらドッカーンうけて、あ、危機的状況で「テンパる」は使えるなー、ってその時気付いて使い始めたっつー。
ただオレは今でも本来の意味に従って、あと一手でヤバイ状態になるシチュエーションでしか使わないんだけど、語感が脳天パーっぽいから麻雀を知らない人達が勘違いしたんでしょーね。すっかり「パニクる」と同意語になって一般化したのが、確か平成中期ぐらいだったはず。

そうそう、「ヤバイ」ってのもあります。
本来はこれこそ危機的状況を表す言葉だけど、確か2005年ぐらいから、スゴイとかカッコイイ的な逆の意味としても使われるようになった。
何で具体的に時期まで覚えているのかっつーと、オレは逆意の発信源として、世間に浸透していく様をしっかりと見ていたんです。
オレが云い始めたのは、日韓ワールドカップの前年の2001年。
千歳烏山にサッカー関係の古着を扱っている店を見つけて、何だか面白そうだなあとちょっと覗いてみた。ただこの頃、オレは病気で倒れて長期療養中だったためロクに働く事もできず、ビンボー極まりなかった。
店のオッチャンが何でも訊いてねーって近寄って来たから、あらかじめ「いま高い買い物は出来ないんですけど」って断っておいたんだが、それでもアレコレ見ているうちに熱量が上がっちゃうんだから困ったモンです。
「今だったらいいのあるよ。ちょっとイイ値段(4万円)だけど、ほら、バルサの頃のロナウドのユニ」
「うっわー、マヂっすかー。今こんなん買っちゃうと生活ヤバイんだけど、欲しいなあああ」
「あと、こんなのもあるよ。ハイ、バルサの頃のフィーゴ(5万5千円)」
「えええー、コレはヤバイってー。こんなの見ちゃったらマヂでヤバイってー」
で、店のオッチャンもいろいろ見せてきちゃあ、コレはヤバイでしょ?ヤバイでしょ?ってノッて来るのがまた面白くて、ヤバイの意味もねじ曲げて使うようになった。

あと、「手を腰に当てて牛乳」ってのもそうだと思う。やっぱり昭和末期の話なんだけど。
専門学校のでかいロビーを歩いていたらウチのクラスの一団がいて、うち一人が見た事ないジュースを飲んでたから何それ?って訊いたら、一口あげるよって事になって缶を受け取った瞬間、天から「休日のお父さんで〜」ってお題が降ってきた。
で、足を肩幅に開いて片手を腰に当てて飲んだら、知らない人たちも含めたロビーのそこら辺一帯がボッカーンなった。
これはね、美しい瞬間ですよ。
この頃「手を腰に当てて牛乳」っていう行動を具体的に言語で表現した人もいなければ、これが面白いとネタにする人もいなかったのに、不思議とこのイメージは誰もが脳の奥底に眠らせていたんです。
それを、オレがこのカタチを取った事によって、その場にいた全員の脳内に眠っていたイメージが目覚めたっつー。それぞれが朝日を浴びたパジャマ姿のお父さんを脳内に浮かべ、同時に「手を腰に当てて牛乳」という具体的なワードまで共有したんですよ、マジで。
この言葉が世間で使われ出したのは、確か1995年ぐらいだったかなあ。2000年発売のゼルダのムジュラで使われてるけど、さすがにもっと前には世に浸透してたはず。

他にも探せばいろいろある。ここ5年ぐらいでみんな使うようになった「何とか感」ってのも……ってもういいか。
コレについては昔っからブログでもツイッターでも多用してるから勝手に検証してくれい。