弐拾周年記念祝辞

数年前に一緒に飲んだ、よっしんさんという御仁がいまして。

彼は「超連射68k」という超傑作ゲーを作った、超手練である。
で、会った時に、烈火の話を超拝聴してきた。ってフツー逆なんだけど。
だって、スッゲー詳しいんだもん。
オレら烈火スタッフを除けば、世の中で最も烈火に精通している人物かも知れん。
自らレベルの高いシューティングを作り上げただけあって造旨が深いのは当然としても、まさかオレらスタッフ同士が言葉で示し合わてもいない、現場の空気の中に混じった共通意識みたいな部分まで嗅ぎ取られてたんだから、ここまで解ってくれる人もいるんだなあと大いに感心した。
だからとても興味深く話を聞いてたら「烈火は20年に一本出るか出ないかの傑作だ」なんてえらいスケールのデカイ話になった(参考:相当量のアルコールを摂取)んだからびっくらコキ麻呂ですよ。
何でも、ヤガワとシオダという、業界でも極めてアレな2人が同じプロジェクト内に存在したという事自体がナニであり、今後そーゆーフェノメノめいた事はまず起こり得ないだろう、と云う。
いくら酒の席での誇大表現とは云え、烈火を超分析できている人の云う事だけに、あながち嘘でも無いのかなあ、へー烈火ってスゴイんだなあ、なんてその時は他人事のように聞いてたんですが。

で、後日、改めてよくよく考えてみた。
確かに、手応えはありましたよ。相当変わったモノを作ってやったっていう。
このゲーム、ヤガワ君がゲロっゲロなプログラムを組んでしまった事は周知の通りであり、あのバケモンが封印を破ったバケモン作品である事は間違いない。
ところが、ヤガワっちのそーゆー凄い技術やアイディアをスタッフ間で共有した事なんて一度も無くて、オレらが話す内容なんてのはせいぜい、ファミコンなのにセガのロゴが出てきたら笑っちゃうなーとか、そんなクソバカな事ばっかりだった。
なのに、このゲームでは、サウンドとプログラムが同じアプローチをしているんですね。
具体的に云うと、ヤガワっちがファミコンでは不可能な物量のオブジェを出現させた一方で、オレも純正のファミコンでは不可能な音数を鳴らしちゃったという。
まぁ、実際はそう見えたり聴こえたりするトリックを駆使しただけなんだけど、それにしても、業界で誰も試みていない(と思われる)この手のトリックを自ら発案しちゃったヤツが同じチームに2人も出現したとなれば、それは確かに常識的に考えるとおかしな事だったかも知れない。
安西監督だったら「それも2人も同時にだ、谷沢」なんて云っていたかも知れん。
サウンドに関しては、当時コレを作りながら、同じサウンドドライバを使ってた中潟さんや高濱さんもこーゆー技は思い付かなかっただろーなー、コレ聴いたら驚くだろーなーなんて思ってましたね。

ただ、そーゆーファミコン離れした技術ってのももちろん特長の一つではあるんだけど、個人的に一番重視してたポイントはソコじゃあ無かったりする。
じゃあ何なのかっつーと、先進性です。その時代よりも数年先の音楽を披露してやろうっていう。
と云うのも、悔しかったのですよ。
正直、その頃からゲーム音楽の作曲レベルってのはそこいらのヒット曲よりも全然上だった。
つってもゲームの作曲家の実力なんてピンキリだから、全てに該当する訳ではないんだが、少なくともオレはポップスに有りがちな、出だしを一聴しただけでその後の展開が全部読めてしまうという、イマジネーションのカケラも無い音楽なんか絶対作らねえつもりでやっていた。
なのに、ゲーム音楽って云うと「あー、あのピコピコね」って感じで、あからさまに世間一般の音楽よりも格下に見られてしまうのが腹立たしかった。
だから、最先端のカタチを披露する事で、ゲーム音楽の優秀性を世に示してやろうと思った。
たかがピコピコで、メジャーを出し抜いてやろう、って。
だから烈火の音楽っておそらく、日本で最初のデス系テクノだと思いますよ。
これは後にハードコアテクノだのトランスだのレイヴだのっつー種類に繋がって行くんだけど、この頃はまだそんな言葉すら存在してなかったし、そもそも初期の電気グルーヴを唯一の例外として、テクノ自体が完全に死滅してたからね。
でもまぁ、いくら志ばかり高いトコロで、結局ゲーム自体がサッパリ売れなかったから、この音楽が世間に与えた影響は皆無だったっつー。

そして、先取りってのはリスクがあまりにも大きくてねい。まぁ周囲からは文句しか来やしねえ。
数年後だったら「ジュリアナ調です」「あー、ジュリアナ調ね」で許されるであろう内容なのに、当時は「音がバグってる」とか「コードが間違ってる」とか、あらゆる種類の悪口を云われた。
しまいには「うち(ナグ社)のサウンドチームも『コレは無いわー』って云ってる」まで飛び出した。まぁ当時はそのぐらい、この音楽を理解するにはセンスを要したのです。
マヂな話、ボス曲(唯一従来のゲーム音楽の延長にあった曲)だけ除いて、全ボツ喰らったもん。
でもオレ、余っ程自信があったんでしょーね。苦情を一切無視して同じような曲しか作らなかったから、先方も「シオダはホントに変な曲しか作らない」って文句を云いつつも最終的には折れてくれた。その点は本当に感謝している。
なので烈火に関してはオレはある意味、プロ失格なんです。クライアントの要望にワザと応えなかったんだから。
ただ、先方には悪い事をしたけど、作品としては群を抜いたモノができたっていう確信は年月が経つにつれて強くなっていきましたね。信念を貫いてホントに良かったなーと。
当時の風潮は「シューティング音楽=グラディウス調」であり、シューティングを作るとなればグラディウスみたいな音楽を期待されたモンで、もちろんコナミの音楽はスバラシイんだけど、いつまでもソレばっかりじゃあ業界は発展しないし、それよりも何よりも、本来シューティングが持つグルーヴ感とかトリップ感を際立たせるには、こーゆー音楽も面白いに違いないと思ったからね。
思ったからね、はいいけど、まともな御仁ならソレをファミコンでやろうだなんてまず思わないんですが。

な感じで、烈火の音楽は徹底的に嫌われたけど、唯一、ヤガワっちだけはエライ喜んだ。
曲が叩かれる度に「全くセンスのねえヤツらだなー」ってオレ以上に怒ってんだから、彼も決してテクニック一辺倒なんかじゃなく、センス重視であのゲームを作ってたっつー事が見受けられる。
(余談ですが、烈火って当初はもっと難しかったんだけど、ウチの企画班が難易度を調整したら「普通のシューティングにされた」って怒って、勝手にデッチ上げたのが裏面です。)
そもそも、烈火から数年後に「弾幕系シューティング」っていうジャンルが確立されたが、烈火はすでにそーゆーゲーム性を示していたんだから、彼もとんでもない先取り君だった。
結局、時代の先取りっていうアプローチまで被ってしまったが、そんなのもちろん2人で示し合わせた事など無いっつーか、そもそも、じゃあ各自で時代の先取りをしましょうねー、ハーイ的に出来るモンだったらみんなやるでしょ。
確かに、ヤガワとシオダのコンビで面白いパワーバランスを披露できたとは思いマス。

そんな烈火ですが、本日をもちまして発売から丸20年を迎えましてん。
果たしてあと20年以内に、こーゆー作品にお目にかかれるかどうか楽しみである。