ジャイケル・マクソン

不覚にも、何も書かずに6月が終了してしまった。むーん悔しい。

6月のオレの誕生日に朝メシを喰っていたら、母ちゃんにプレゼントを貰った。
前もって用意してくれていた事を思えば、そりゃ嬉しくないハズはないし、当然感謝してる。
ただ、誕生日に「風呂のフタ」をプレゼントされて喜べと云われても、それはかなり困難だ。
そして、シルバーのフタをハイって渡された時に 「わー、この銀イオンがヌメリ防止に・・・って何なんだよこのプレゼントわー」 って不覚にもノリツッコミしてしまった自分にもまた腹が立つ。

確か5月末ぐらいだったかなあ、hallyさんと山田一法さんと一緒に飲んだ。
山田いっぽーさんはゲームのコンポーザーで、ロックマンとかバイオハザードとかスーパーストリートファイターIIなどといった、タイトルに恵まれなかったオレからすればヨダレもんの音楽をたくさん手がけてきた御仁だ。
そんなメンバーだから、かなーり濃い系の音楽話になって楽しかったのは当然の事で。
そこでも出た話なんだけど、ゲーム音楽屋さん同士ってのはなかなか友達になりにくいモンである。
そーゆーネットワークが構築されてないから、知り合いになる機会がまるで無いのですよ。
だから、オレの直接の知り合いなコンポーザー仲間ってのも決して多くはないんだけど、多くないにも拘らずオレの周りには不思議と作曲レベルの高い人が集まりがちなのが嬉しくて。
クラスメイトで昔から親友の村上慎吾君といい、K社で一緒に仕事をした高濱さんや阿保君といい、あと、直接会ったのはここ数年だけど、間接的にはある意味昔から繋がっていた並木さんといい。
身内があまりにも達人なモンで、正直、巷の音楽に魅力を感じる事は少ないんですが(オレの勉強不足とも云う)、そんなオレでも身内以外の同業者の実力に惹かれる事が少ないながらにもある。
中でもパッと思い浮かぶのが、古代祐三さん、下村陽子さん、戸高一生さん。
スゲー偶然なんだけど、みんなオレと同い年なんだそうな。
っていう話を飲み中にしたら、いっぽーさん、何だかやたらと羨ましがる。
いっぽーさん理論では「世の中を変えちゃうような勢いのある人材を輩出する年」が5年ごとにやって来るらしく、オレら、俗称「桑田清原世代」は丁度そのゴールデンエイジに当たるんだとか。
以前書いたけど、オレも丁度、うちの地元では品川庄司の品川君とか、宝塚のトップスターだった春野寿美礼さんといった5歳下のコたちが完全にゴールデンエイジを形成していて、その圧力をひしひしと感じていたところだったから、妙に説得力あるなーと思って聞いてたんですが。

そんな訳で、もう42歳になってしまった。
大厄は過ぎたとは云え、42なんて縁起の悪い数字だよなーと思っていたところへマイケルの訃報が。
マヂっすかー。せっかくの誕生日が命日ってー。いくら42だからってオレのせいじゃないからなー。
ところで、オレの音楽歴の中では、マイケル・ジャクソンは一切通過していないんです。
高一の時、学校をサボって友達と麻雀ばっかりやってたという、今までで一番フザケた人生を送ってたんですが、麻雀中のBGMがいっつもスリラーで、いい加減ウンザリだったっつー接点しか無い。
思えば当時はYMOも健在だったし、マイケルと同じグラミー独占組ではTOTO派だったしなー。
ジャネットは好きだったなー。K社に入った直後に某先輩にそそのかされてCDを買わされたんだけど、コレはハマった。
だから今でもジャネットを聴くと「あの頃のK社は楽しかったなー、仕事はキツかったけどあの頃に戻りてえなー」なんてふと思ってしまいマス。

その、そそのかした先輩、自称グレート馬場さんといって、スタッフロールには必ずG.BABAというクレジット名を使う。
察しの通り、プロレスが大好きで、毎週「週刊プロレス」と「週刊ゴング」を購読していた。
そこへ、オレもプロレスが好きと知ると、じゃあオマエはゴングを買え、そうすればオレの週プロと両方読めるぞ、などと勝手な交換条件を出してきたけど、そのプランには乗らなかった。
そしたらそれ以降週プロもゴングも見せてくれなくなったモンだから、アレコレ交渉した末、じゃあグレートさんがランダムで週プロのページを開いて、そこに一番大きく載っている選手を当てたら貸してもらえるという「週プロクイズ」を毎週やりましょうという事で了承を得た。
発売日になるとおもむろに出向き「プロ週、クイーーーズ!!」とコールすると、グレートさんもしょーがねえなーって態度を取りながらも嬉しそうにページを開き、「うーん、これは懐かしい選手だなー」と簡単なヒントを云うから、それに対してオレも「ロイヤー・デストですか?」などと答える。
週プロクイズが始まった頃は、こんな感じで週プロとかデストロイヤーとかをテキトーに崩して呼んでたんだけど、その流れでジプシー・ジョーを「ジョプシー・ジーですか?」って答えてからは最初の文字同士を入れ替えるという、ジャンキー大山方式が定着した。
ある日のグレートさんのヒントが「ヘッドロックと云えばこの人でしょう」だった。
ヘッドロックなんて誰でも使う、ただの繋ぎ技ぢゃんかよ、と思いつつ、パーテーションの向こう側にあるグラフィックのブースへ行って、プロレスに理解のある人と緊急ミーティングを開いたところ「怪力つながりでブルーノ・サンマルチノあたりじゃない?」という結論が出たからグレートさんの所へ戻り「サルーノ・ブンマルチノですか?」と云ったらパーテの向こうがボッカーンうけた。
それがきっかけで、K社ではしばらくの間、いろんなモノをジャンキー呼びするのが流行ったという。

その頃、地元の友達とバンドをやっていたんだけど、オレは思うところがあってK社を辞めようと本気で思っていたから、メンバーの前で「明日は辞表を出すんだ」と息巻いていたんだけど、話が脱線してサルーノ・ブンマルチノの話になったら、そこでも一座が爆笑した。
「他にもカラートーア・キマタとか、ブブドーラ・ザ・アッチャーもいるよ。でも残念な事に、ジャンボ鶴田は放送コードに引っかかっちゃうんだよな」なんて云う度にいちいちウケる。
「あと、スック・ディレーターとかね」と云うとピタリと笑いが止まって「それはあんまり面白くない」とキッパリと云われた。正直な男だ。
だから「でも、キャッチコピーは『ケロリダのフンカ番長』だぜ」と云ってやるとまたギャーと笑うから「同じパターンだとザ・シークもいいんだ。『カラビアの愛人』。イントニオ・アノキなんか『トえる毛根』だし」と続けてやった。まあ喜ぶわ喜ぶわ。
ようやく笑いがおさまると、みんなから「そんな面白い会社、辞めなきゃいいのに」と云われた。
何云ってやがる、面白いのはその言葉を考えた本人で、会社じゃない。関係あるか、と内心思ったが、よくよく考えると、その面白いキッカケを作ったのは週プロクイズを楽しんでくれたグレートさんであり、面白さを育てたのはオレのトンチキ発言に反応したグラフィッカーのみんなである。
やっぱり、会社が面白かったんだよな。
でもオレの意志は固く、翌日社長に「辞めます」と云ったのだが、社長の方が数段上手でね。
見事なスモールパッケージホールドで巧く丸め込まれちゃってさアハハ。

で、オレが思うに、こーゆージャンキー呼びが最も有名になった名称って何かって云うと、結局ジャイケル・マクソンなんですね。
安らかにご永眠されますよう。