月光の白き林で

玄関で蝉が鳴いている。

こう見えてもオレだって余裕のある大人です。
夏の情緒を醸す、風流な音色だねいなんて普段なら思うところだ。
だがそれも、夜の23時となると話は別だ。
しかも、我が家の玄関というのは密閉された階段にあるから、アナログリバーブの効き加減も半端じゃない。
しばらくの間は蜘蛛の巣にでも捕われたんだろうと思うような小刻みな鳴きだったのに、何をトチ狂ったか、突然壊れたチェーンソーのような機械音でウイーン鳴き出しやがって一向に止まらないんだから、堪らず玄関へ躍り出る。

あんな所へ長時間居座っているという現状から、おそらく何かしら手負の状態なんだろうと推測しつつも、もし蝉の野郎が家の中へ入ってきたらちと厄介だな、と警戒しつつ玄関を開きかけた、そのほんの僅かな隙間を縫って部屋へイン。
ヤロウ、ピンピンしてんじゃねえかよ。
しかし、こう見えてもオレだって余裕のある大人です。
部屋の中を散々飛び回って疲労したところをスタスタと歩いて行き、何事もなかったようにサックリ捕える。
またキリキリ鳴き出したけど、そんな事など意に介さずベランダへ出ると、ラピュタへ届かんばかりの勢いで炎の大遠投ですよ。

まぁこうして、夜に静寂を取り戻した訳なんですが。
翌朝、駅の駐輪場に自転車を停めると、右耳の真横をブウウンと野太い音が通過した。
コレね、すっごく不吉な音ですよ。
カナブンみたいな甲虫類とは違った、羽の剥き出しになってる種類の音で、しかもかなりのサイズがある。
それが顔の間近を旋回して、ちょっと高度を下げて胸の周りをまた旋回した時に姿を確認した。
よりによって、オオスズメバチである。
オレ、何でこんな、世界一危険とも云われる毒虫にマンマークを敷かれているんだろう。
今から自転車にチェーンロックをかけて、シール状の駐車券を自転車に貼ってから出立しなきゃいけないのに、その間ずーっとオレの半径5cm以内を旋回してるんだもん。
ただ、スズメバチ特有の警戒音は発してないし、とても機嫌が悪いようには思えない程、ゆっくりと飛んでいる。
もしや、オレのフェロモンに反応してんのか?なんて勘ぐってしまうのも全然不思議ではない光景だ。
ところで、こんな自慢はしたくないが、オレ、実はモテるんですよ。ホモに。
痴漢に遭った事だってあるし、友達の付き合いでゲイバーに行けば必ずゲイのママとかホモの客に気に入られてしまう。
そんな、ホモとかスズメバチばかり引き寄せてしまうマイフェロモンを恨めしく思い。
今後の人生、どっちにも刺される事の無いように気を付けるとします。