よく転ぶ星人

正月早々の事だが、スペクトルマンが他界した。

正しくは、スペクトルマンに変身していた蒲生譲二がお亡くなりになった。
ネビュラの星から地球へやって来て、宇宙猿人ゴリとの死闘を繰り広げた後は空手の師範となり、ウチの地元の駅前で道場を開いていたから、スペクトルフラッシュやスペクトルサンダーといった往年の必殺技を伝授してもらいたくて入門を考えた事もあった。
スペクトルマンってのは昔のB級ヒーローだ。エンディング曲では罪の無い子供達が「憎い怪獣~、ブッ殺せ~」なんて物騒な歌を朗々と唱い上げてたんだから何ともテキトーな昭和中期である。
そんなスペクトルマン、正月に市内で一番立派なお寺で葬儀を行ったんだそうな。
ネビュラの星の正義の勇士も、もうすっかり地元に根付いたねえ。安らかにご永眠されますよう。

先週チャリンコでコケてしまって、足がスゲー痛い。
コンビニで買い物をして、さて帰るかとハンドルを切りながら思いっきりペダルを踏み込んだら、うっかり解錠するのを忘れていたんだから老いとは恐ろしいものだ。
このチャリは仕事用で、主に特定の敷地内で乗り回しているシロモノだから、普段はカギなんかほとんどかけた事がないという習慣もモロに祟った。云い訳ですが。
大人ってのは滅多に転ばない生物なのだと思っていたが、いざ転ばない生物の域に差し掛かってみても結局は大して変わらん。オレはきっと遠い国からやって来た、よく転ぶ星人なんだと思う。
そして、子供の頃は体も柔らかいし、転んでみたところで皮膚が痛い程度で済むモンだが、その点、オトナ転びってヤツは痛みが骨だとか体の芯の方にまで到達するんだから非常に厄介だ。
4年前に雨が降る中、コルクのチップが敷かれた路面をチャリで曲がったらスリップした。感触がゴムに近い路面だからタイヤもグリップしやすいだろうと思っていたら、むしろ逆でツルッツルなんだからアレには完全に騙された。その時は右膝を痛めて2週間も歩行が困難になった。
2年前にマウンテンバイクに乗っていたら、コンビニで牛乳とかポカリの1.5リットルを買わなきゃと急に思い出して、つい買ってしまったら今度はどーやって持って帰ろうかと困ったという、我ながら見事なピンボケぶりである。試しにチャリのハンドルの左側にコンビニ袋を下げて走ってみようかと思い、慎重に動き出した途端ハンドルの右側が電柱にヒットしたんだから当然のガッシャーンで、右の手首や掌底が痛くて床に手を付く行為全般ダメ、チェロの練習ダメという日々を一年も送った。
ところでこの、オトナ転びってヤツはなかなか恥ずかしいもんだ。転んだ瞬間、思考回路は「痛い」という感情でイッパイとは行かず、間違いなく半分ぐらいは「恥ずかしい」が占有する。おかげでどんなにハードに転んでも、アタシゃチャンチャラ平気ですよん調を取り繕ってその場を立ち去る事が可能となる。
ところが先日気づいたのが、実際のところは痛いが45パー、恥ずかしいも45パーであり、その中にさり気なく「ノルタルジー」が10パー混ざっているという新事実である。
何かね、転んだ時の衝撃だとか、顔からこんなに近いところに地面があるっていう感じが、不覚にも童心を思い出させるんですよ。アスファルトの分際で、痛みにのたうち回っている今がチャンスとばかりに特有の堅さとか匂いを巧みに操って、懐かしい成分を醸しまくってきやがる。
そーやって人様の情感に訴えてくるのは慰めなのか?それとも馬鹿にしてるのか?
結局、オマエは敵なのか味方なのかっていう結論はまだ出てないんですが、とりあえず現在、寝返りを打つと右脛が痛くて目が覚めてしまう毎日でゴザイマス。

そもそもオレは、今年で厄が明けたハズだ。
つーか、わざわざ節分の翌日に厄除けのお札を返納しに神社へ行って、ご丁寧にお参りまでしてきた帰り道の転倒劇なんだから、かなーり解せないモノがある。
ところで今年の正月にこの神社でおみくじを引いた。大吉だった。
厄年もいよいよ終わりだし、こりゃ縁起がいいなあと思い、家に帰ってからじっくり読んでやろうと小躍りしながら帰宅して読んでみたらビックリ、一面悪い文句ばかり並んでやがった。
願い事は他人に妨げられ、待人は来るのが難しく、失せ物は出るけど相当遅い、旅行は止めろ、転居も止めろ、商売は急降下する、求人は難しい、病気は重い、縁談もやっぱり他人に邪魔され、争い事に至っては勝つ理由があっても負けるんだから無茶苦茶だ。この結果のドコを見れば大吉に繋がるんだか全くもって不思議である。
そして、唯一良かったのが、よりによって安産だと。そのくせ待人も縁談もダメだと云ってる。
まさかテメエ、オレに産ませようとしてんぢゃねえだろーな。