東京郊外も捨てたもんじゃない

ふと、野川にもサイクリングロードがあった事を思い出し。

試しに漕ぎに行ったら、やたら鉄柵で道を塞いでいたり、やたらアップダウンが多かったり、やたら道路が横切っていたりで、やはり多摩川の快適さとは比べもんにはならぬ。
まあ、オレが幼少の頃からあるという歴史の古いロードなんだから仕方ないか。
でも三鷹に入ると、のどかな風景が広がっていて、ちょっと驚いた。
東京郊外にもこんなところがあったんかー。
思わぬところで住んでみたいナンバー1タウンを発見。無理だけど。

そんなところに「地球屋」なる店がある。
店と云っても一軒家を少々改装しただけで、パッと見は民家同然。
あのジブリ美術館を擁する三鷹市だ。ブリ美帰りなどに寄った日にゃあ、リアルで地球とか買える店かと錯覚してしまうに違いないが、同じ三鷹でもブリ美からは遠く、しかも立地的にかなーり分かりづらいから、ブリ美からのコンボを派生するのはちと困難であろう。

この地球屋の正体は、行列まで出来てしまう程の蕎麦屋である。
古い平屋を店にしてしまうという、ちょっと代官山あたりに通じる感覚を持った若い店主が、新感覚の蕎麦で一発当てたのかと勝手に思いながら入ってみると、店主は50歳ぐらいの完全なるオジサン。
このオジサンがこんな洒落た店を作っちゃったのかー。これは驚き。
所詮古い平屋なんだが、隅々まで気の利いた丁寧な店だ。このオジサン、センスが只者ではない。きっと蕎麦作りもセンス溢れる丁寧な仕事なんだろなと期待も高まってしまう。
実際、最初にお茶が出て来るんだが、この時点でクソうめえ。
丁寧な店に倣って丁寧に云い換えると「ウンコおいしい」って意味かと云うとちょっと違うんだが、何しろ旨い。
静岡県焼津産という話だが、ちょっとトロみさえ感じるような、旨味のよく搾れたお茶で、これを茶碗だけじゃなく小さいお湯差しにまで入れて出してくれる。注文を待っている間、旨いお茶を注ぎ足しつつちびりちびり飲んでいられるのは嬉しすぎ。

すると、おばちゃんが蕎麦を運んで来る。無愛想な割には食べ方とか製法とか焼津産とか、いろんな事をよく解説する人だ。
喰ってみたら、これまたブッ飛ぶぐらいのゲロ旨。
思わず「吐瀉物おいしい」と丁寧ぶった表現に云い換えたくなっちゃう程、丁寧な仕事ぶりが感じられて尚且つ旨い。
そばつゆは上品な甘味が際立った、醤油の角の立たない味で、これまたいい香りの蕎麦を浸けて食べてみると、弾力性の粘りゴシが凄まじいのなんの。
蕎麦湯もたっぷり持って来てくれるからかなーり薄めて飲み干して、それでもまだ余ったから最後は蕎麦湯だけのオンリー飲みを満喫。蕎麦自体がいいからこんなんでも旨いんだ。
あー、日本人に生まれてよかったなー。

蕎麦ってのはラーメンと比べると、ハズレ率がかなり低い。
割とどの店でもそれなりに美味しく戴けてしまうだけに、あまりにも値段の高い蕎麦ってのはどうにも納得し難いもんだ。
そんなに高い料金を取るなら、もっと歴然たる他店との差を示せ、と。
地球屋はと云うと、もりそばが900円もする。他にもかなーり魅力的なサイドメニューが豊富で、いろいろ堪能したいなら2,000円ぐらいは用意しなければならぬ。
でも、満足しちゃうんですよ。それだけ払う価値がある。と、オレ内の審判長が初めて認めました。こうなったら、全品制覇してやります。

蕎麦屋に出て来る薬味の話。ネギの事である。
幼少の頃、うちの近所の蕎麦屋の薬味ってのはどの店も真円というか、ネギの断面の形そのものだった。俎板で潰れてないの。しかもかなり薄い。
コレ、切り方が違うんですよ。近所の蕎麦屋でバイトしてた時に店長が切ってるのを見たんだけど、手裏剣を飛ばすような格好でサクサク切ると出来上がる。
最近この、手裏剣切り(勝手に命名)の薬味を出す店が全然無いけど、これをやると、歯触りとか風味がひと味違う。活きが良くなるんです。
バガボンドで云う「切られていながら、なお生きているような」である。
こんな、生きた薬味を出す店は、もはや絶滅しちまったんだろか?