中1の時、音楽の成績で「1」を取りましてん。

よりによって、人生で記録した唯一の1が音楽と来たもんだ。
正直、音楽については幼少の頃から自信があったんですけどねー。
例えばみんなで歌を歌ったり笛を吹いたりする度に、おそらくこの人達とは人間とサイヤ人ぐらいのポテンシャルの差があるんだと思ってました。思ってませんが。その頃ドラゴンボール無えし。
それに輪をかけて、音楽そのものが大好きだった。授業で合奏をやる時なんか常に楽しみメーターがレッド振り切ってた程で、血が騒ぐとはこーゆー事を云うのかー、とその時学習した。
そもそも、物心をついた時から音楽を聴くのが何より好きだった。
つっても3歳児の話なんで、童謡とかが主なんだが、他にも「帰ってきたヨッパライ」とか「走れコータロー」とかグレン・ミラー楽団とか、基本的に家にあったレコードは何でも喜んで聴いていた。
グレン・ミラーに関しては、未だに母ちゃんから指摘されるもん。友達を家に連れて来ちゃあグレン・ミラーを流してソファーの上をボヨンボヨン跳ね、また別の友達を連れて来ちゃあグレン・ミラーでボヨンボヨン跳ねるというのを小1ぐらいまで繰り返してたっつー。
でも一番衝撃を受けたのは、4歳の頃にTVで見たサンダーバードの音楽だった。
あんまり感動して泣きそうになった程で、おそらくこの時に何かしら音楽のスイッチがオンになったんだと思っている。
当時の男の子ってみんなウルトラマンごっことか仮面ライダーごっこをやるモンで、オレも幼稚園児の頃はそのクチだったけど、そのうち有りモノを演じるだけじゃあツマンナイと思うようになって、友達と3人で各自オリジナルのヒーローを考えようって事になった。
名前を付けてキャラデザもして、さらにテーマソングまで即興で作詞作曲したんだが、この時すでに琴線に触れるメロディーとか、ABサビ的な起承転結なんかをちゃんと意識できてました。
ところで、子供って偉いモンで、他の2人もその場で作詞作曲をさらっとやってのけちゃった。とは云え、メロも展開も支離滅裂で、みんなヒデエなーって呆れながら聴いてたんですが。
思えばソレが、音楽的には他人とは違うのかも知れんと自覚した最初の体験だったのかも。

小1の頃、親父が突然ラジカセを買ってきた。
世の中にそんなモノが存在する事すら知らなかったけど、仕様が解るやオレのオモチャと化したのは当然の成り行きであって。
当時の子供からすれば、自分の声を録再できるという夢のマシンがやって来たモンだから、最初のうちはギィヤーーー!とかムンガーーー!などとしょーもない奇声ばかり録って喜んでいたけど、そのうち自然発生的にテレビの歌番組で流れるヒット曲を手当たり次第録るようになった。
するとそのうちに、この曲、ここのメロディーをこうして、その後の展開をこうすればもっとイイ曲になるのになー、などと思うようになった。何つーか、音符が行きたがってる方向みたいなモノを感じ取れるようになったんです。
あと、ちょうどその頃なんだけど、例えば♪ドシドーというフレーズのように半音を行き来する際、状況によってはシの部分の音程を気持ちシャープ気味に唄った方が感情が出てイイ場合があるんだが、プロの歌手はそーゆー唄い方を一切しないのを何だか物足りなく思っていた。
で、ある日、一人だけソレをやってる人がいて、もちろん美空ひばりさんなんですが、でもオレからしたらソレは至極当たり前の事だったから、ひばりさんスゲー的な方向にはまるで関心が行かず、おかげであのお方の凄さにはなかなか気付かなかったっつー。分かってんだか分かってないんだか。そーゆーあたりは所詮コドモである。

中1の遠足のバスの中で、みんなで歌でも歌いましょうって話になった。
でもやっぱ伴奏があった方がイイよなーと思ってたらガイド用のマイクが2本あったから、ゲリオ君と2人で「じゃあオレ達が人間カラオケをやるから」と云って口伴奏をやった。
伴奏の中でも目立つパートはおそらくゲリオが歌うであろうと読みを利かせつつ、オレはもうちょっと目立たないパートを選んで歌ってたら、子供の即興の割にはなかなか上手くハマった。
つーか、めちゃめちゃウケまして。
あまりにもオイシイから他のヤツもやりたがって、でもクラス1の人気者のゲリオからマイクを取り上げる訳にもいかないからオレのとこに「代わってくれ」と云ってくるんだが、生憎オレのパートは難易度が高い側だ。もちろん他人の力量で成立する訳が無く、せっかく暖めた空気がみるみる冷え込んで行くのを見てるのは何ともツラかった。

音楽のプロになろうと決めたのは、中2の時。
同じクラスにオレと同じくYMOを好きなヤツがいて、ソイツの家にYMOのテープ一式を持ち込んで一緒に聴いて盛り上がってたら「バンドやってみたいと思わない?」って切り出された。
で、その時、「そうか!音楽でメシを喰うっていう手段があったか!」って気付いたんです。
何だか、アタマの中でジグゾーパズルのピースがぴったりハマったような感触がした。
音楽の能力に関しては完全に天狗ってたし、加えて音楽がこんなに好きなんだから、キツかろうが喜んで精進できるに違いない、これぞ天啓と思いましたね。齢14にして天職見つけたり、ですよ。
ところで、初めてYMOを知ったのは小5の頃。78年ですね。
デビュー間もないYMOの1stアルバムを、音楽の先生がいつも授業で流してたんです。
と云うのも、その先生が指揮してるうちの小学校のブラバンってのが、例えばムソルグスキーのオーケストラ曲みたいな「コレ小学生には無理っしょ?」っていう曲をやる事で少々有名だったんだが、そーゆー曲を我が校のブラバンのためにアレンジしてたのが何と、YMO前の坂本教授なんだそうで、そんな縁もあってか、授業が始まって最初の20分ぐらいは「サーカスのテーマ」のブーン、チャッ、ブーン、チャッのリズムに合わせて変なステップを踏まされるっつー事を何ヶ月かやらされた。
でもアレ、凄くいいなーって思ったんですね。ゲーセンに行くというリスクを背負わなくても、家であの音が聴き放題なのかーって。

その頃はゲーセン(当時はインベーダーハウスと呼ばれていた)は不良の溜まり場だったから学校で禁止令が出ていて、踏み込む事ができなかったんです。
でも、あの薄暗い小屋から聴こえてくる素っ頓狂な電子音に対する好奇心は増すばかりで、結局中学生になったら通うようになっちゃった。
実はゲームにハマったキッカケは、音に魅了されたからなんですね。
ギャラクシアンやパックマンのキャッチーなジングルとか、ニューラリーXの愛嬌のあるBGMなんかに心酔し、将来はnamco(ナムコっていう読み方には自信が無かった)でこーゆー音楽を作る人になれたらなーっていう漠然とした憧れを持った事がある。
コレが中1の頃であり、実はYMOバンドの件よりも1年早い。
でも当時はゲームサウンドの仕事などというモノは確立されてなかった世の中であり、あまりの現実味の無さに「音楽職に就く」という道を発見するには至らず、ただ何となく憧れただけで終わった。

ファミコンが登場したのは高校生の頃。
友達の家でゼビウスを見せてもらったが、オリジナル版に対する愛情の強さ故、完全移植にはほど遠い出来映えに単なる子供だましとしか思わなかった。
だからファミコンなんか絶対に買うまい、と思っていたんだけど、結局買ったのが21歳の秋で、周りの就活も慌ただしい専門学校の2年生だった。
過去にゲーセンで「ドルアーガの塔」にどっぷりハマったが、風の噂ではドルアーガのファミコン版の移植度はかなりのモンだと聞いて(結局そうでもなかった)、遅ればせながらどーしても欲しくなった時にはすでに遅しで、ドルアーガなんてどこにも売ってない。
でもせっかくファミコンを買う気になったんだから、ドルアーガはそのうち中古で入手するとして、とりあえず本体は買って帰ろうと思い、でも本体だけ買うのもバカらしいから、人気のあるドラゴンクエストとやらを買ってみた。
当時最新だったドラクエIIIがすでに2000円前後にまで値崩れしてて、IIもしかり。何故かIだけは売り切れだったから、IIとIIIと本体を買って、確か一万円そこそこで済んだんじゃなかったっけかな?
で、モロにハマった。
それからは学校に行っちゃあ、嬉々としてドラクエIIの話ばっかりするようになった。
やっぱりクラスには高校生の頃にIIを解いた人が何人かいて、今日はどこまで行ったのどこで詰まったのっつー進捗を毎日毎日繰り返していたら、周りの人達にはそんなオレの姿が余っ程楽しそうに映ったらしく、続々と「オレもファミコン買ったよ」「ワタシも買ったわ」という人が増えていって、最終的にはクラスの約1/3がドラクエを始めちゃった。
しかも、毎日ドラクエIIを指南してくれてた人達まで「あー、ファミコン実家に置いて来ちゃって悔しいー」と云って新たに買い直したんだから、それはそれはなかなかの猛威を振るったモンだった。
そして、音楽の専門学校生がドラクエの音楽に触れられたのは、みんなにとっていい影響となったみたいで、ウチのクラスからはゲームのコンポーザーを5人も輩出するに至った。
1クラスで5人が作曲のプロとして成就するってのは、豊作極まりない数字ですよ。あのインチキ学校創設以来最大の当たり年と云ってもいいぐらいなんじゃねえかと。
なのでみんな、就活も盛んな時期にゲーム音楽への扉を開いたオレに感謝しれと思う。

ところでオレ、上記でなんとなく匂わせてる通り、namcoのゲームが大好きだった。
他のメーカーと比べると何だか動きも滑らかだしドット絵もきめ細かいし、そして何と云ってもサウンドが琴線に触れるモノばかりだったのがたまらなく良かった。
俗に云う駄菓子屋ゲーも大好きだけど、それでもディグダグを見た後でMr.Doをやる気にはなかなかなれない性分だったから、当時から新製品が出たらまず最初にnamcoって書いてあるかどうかをチェックしてたっつーヤラシイ子供でした。
まあ、ドルアーガの塔という不条理極まりないゲーム攻略に完全燃焼して、それ以来ゲーセン通いをパッタリ止めちゃうんだけど、少なくともそれまでは散々namcoゲーばかり選って遊んできたオレなので、先日キラキラスターナイトの音楽部隊として慶野由利子さんと共演したにはなかなか感慨深いモノがありましたねー。
有名人などのサインにはまるで興味の無いオレが、思わず書いてもらっちゃったもんね、フフフ。